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天地人真の父母定着実体み言宣布の意味

(H) 07/25/1

(S) 09/03/2010


From Today's World Japan 504


天地人真の父母様の御言


天基元年天暦七月二十五日(陽暦九月三日)

韓国・天正宮博物館

このみ言は、二〇一〇年陽暦九月三日、天正宮博物館で行われた安侍日の敬礼式および訓読会で真のお父様が語られた内容の一部を翻訳し、整理したものです。このみ言は、陽暦十二月七日、天福宮に天地人真の父母様を迎えて行われた「世界平和カイン·アベル圏和合統一大会」で訓読されました。

(文責·編集部)


「家庭盟督」で乗り越える基準


天地人真の父母定着実体完成宣布!実体み言宣布です。きょうの盟誓文と実体自体を成した天の主人の位置に立って、世の中の万事における真の神様、見えない神様と見える神様となって万王の王と真の父母の実体み言宣布、天地人真の父母定着安着み言宣布の上に立った二〇一〇年天暦五月二十七日 (天地人真の父母定着実体み言宣布大会開催日)です。きょうはそういう日だというのです。


全体解放された蕩減復帰時代として、夜の神様と昼の神様のように、体と心が闘う時代から、どうなりますか? 皆さんの体と心が闘っています。この闘う怨恨の穴を完全に埋めてしまうのです。埋めてしまうことができるのは盟誓文しかありません。


きょうから、第一イスラエル、第二イスラエル、第三イスラエルの定着宣言が終わって、見えない神様と見える神様の実体になり、万王の王と宗教圏、サタン世界の宗教圏と万王の王、その次に信仰圏ではなく宗教の上に内的心の世界の心情圏を中心として、それと真の父母が一つとなったというのです。ですから、サタン世界の数多くの雑多な各地の王たちがいましたが、万王の王が、その(サタン世界の)子孫の血筋を一度にすべて切ってしまうのです。


神様と目に見える神様の一生、父母様の一生を通じて、皆さんが知らない世界、地獄のどん底から地上まで上って来るときに、世界から未曽有の冷遇、迫害を受け、世の中に見たこともないようなかわいそうな乞食の中の乞食の世界にも落ち着く場所がなく、片隅に立って乞食をしながらも神様に向かって行ったのです。堕落前の世界、光明なる天地、盟誓文の解放圏を望みながら来たのです。


天地父母天宙安息圏、解放圏を中心として絶対性です。絶対精子の旅路は定着ができませんでした。夜の神様と昼の神様が一つになって、地上のどん底から天上世界に定着をすることができなかったのです。この暗闇の世界、この悪なる世界を脱するためには、どれほど多くの事情があることでしょうか。アダムとエバが絶対性を守ることができなかったために千万年の歴史の恨みを抱いたため、神様を解放させるべき責任があるということを考えるとき、人間自体では不可能なのです。


しかし、夜の神様と昼の神様が別々にそのふたりを引き受けました。創造の神様はアダムとエバの父母ですが、ルーシェルすなわち天使長の父母は誰なのか、主人が誰なのかと言えば、アダムとエバの神様と同じであるということが分かりました。このふたりは分けられないのです。天国と地獄は一つになるはずでしたが、このふたりが分かれました。それが一つになる境界線は、別の場所にあるのではありません。宇宙にあるのではありません。皆さんの心の根本にあるというのです。これを知らなかったのです。


心が思いのままに振る舞いうる道をふさいできたものは何でしょうか? 夜の神様が昼の神様を主管することができる愛の実権、「原理」の本体、神様本体の神の宮を失いました。神の

宮とは何か? 神の宮が何かと言えば、愛の家です。愛の家がどこにありますか? 神様の住む家がどこにありますか。宇宙の中のどこかの見えない太陽世界へ行って住むような神様でし

ょうか?


太陽世界の三億度を超える灼熱の中に入って住むことができ、燃えず、匂いも出さず、本然の愛だけが花を咲かせ香りを放つことができる基準を、神様は成し遂げることができません

でした。堕落によって、引っ繰り返ってしまったというのです。これを引っ繰り返した人間自体によっては、天地人真の父母定着実体宣布のみ言の上に上っていくことができません。


家庭盟誓を行うことによって、この基準を乗り越えることができるのです。家庭盟誓の冒頭は何ですか?「天一国主人、私たちの家庭」です。皆さんの家庭は天一国主人になりましたか?

二〇一〇年天暦五月二十七日に宣布


今日は安侍日ですが、安らかに侍る日が「安侍日」です。侍る「侍」(の字)です。神様に祈るのではなく、侍るのです。侍るというのは一つの家庭を中心としてのことです。家庭の父

になることができる人は天地に侍るのであり、父が侍る無形の神様に侍って、実体の母が実体の神様と一つとなって、歴史時代にふさがっていた垣根をどうするのですか?


サタンが愛によって生命の起源である神様の位置を奪って引っ繰り返したものに対して、神様は思いどおりにすることができません。神様は上へ行くことができず、創造世界が上へ行くことはできません。どこにおいても天を標務し、地からそれを追慕し、天地人の主人になることができる解放的体と心を持って初めて盟誓文を唱え、天地人真の父母定着実体み言宣布大会をすべて成し遂げたというのです。


皆さんがそうしたのではありません。無形の神様と真の父母が万王の王と真の父母の愛の主人を捜し出したために、宇宙はその本然の位置に入ってきて、二〇一〇年、天一国一〇年の何月ですか? 天暦五月二十七日です。これが私たち人間においては何ですか? この前の、天地父母天宙安息圏絶対性′……。絶対性´をすべて壊してしまいました。絶対性′を持てなかったために皆さんの体と心が闘っています。


皆さんの絶対性′の王宮の跡となっている凸凹が自己主義によって、ありとあらゆることをしてきたというのです。女は女なりに、男は男なりに、天が好まない家庭を代表してつくり、天の宮殿と地の宮殿、無形の神様と実体の神様が一体を成すべき所に永遠の国境線をつくり、城を築き上げ、これを越える者がいないというのです。


真の父母に対して、サタンたちが「創造理想がどんなに大きいとしても、天の玉座と地の地獄を支配しているサタンの血統的な根を抜くことはできない」と言いました。私に対して「おまえが、考えもつかないそのことを成し遂げることができるのか。成し遂げることができるなら、やってみろ!」と言ったのです。


ですから、「百回千回死んでも、私が同情し、私がかわいそうに思って見ることのできる道を捜すことができない限り、おまえの解放の座は永遠にありえないのだ」と言うのです。


それで、天地人の「地」の字を見てみると、「地」の字も「土」の字が三段階になっていて、「也」が一つになれません。天地人が一つになれないのです。天地人はそのようになっていますが、真の父母が定着実体です。盟誓文を唱えることができる位置だというのです。


天地人真の父母定着、定着です。定着実体になったので、み言宣布なのです。実体としてみ言を宣布したのです。神様がみ言によって神の実体をつくるのに、先頭に立つことができません。裏返ってしまったふろしき包みを正しく元返さなければならないというのです。ですから、み言の宣布です。


み言が上へ行ったのです。み言が上で、宣布が下です。引っ繰り返っているのです。み言を中心に引っ繰り返したので、上へ行っていたみ言ですが、これからは地に広げて、み言完成解放圏を成し遂げることができる真の盟誓文、家庭盟誓を唱えうる初日をきょうという日によって迎えたというのです。


きょうから先生の権限は何ですか? 天地人真の父母安着実体宣布み言大会です。上に行って、小さな頂にくっついていた「み言」が下がっていかなければなりません。全体が引っ繰

り返るのです。上はそのままで、「宣布み言」と、引っ繰り返るのです。み言言を引っ繰り返して打ち込むのは誰が……。それは、真の父母です。


真の父母一人で、血筋全体が編んできたもの、数億年間になされたことを、血筋を通して覆すことはできません。み言を中心にして宣布の一言が全体を覆し、本然の世界に向かっていくのです。勝利の太平聖代、億万歳、億兆京万歳の時代を越えていくのです。


氏族的メシヤが氏族を率いて天国に入って行くのが、堕落前の理想でした。氏族圏を失ってしまったのですが、初めて統一教会が氏族的メシヤ絶対権限を中心として、どうするのです

か?それ以上の民族、民族以上の国家、世界、天宙までを父母様がすべて成しました。父母様が橋を架けたので、心配しなくても皆、連携して入ることができるのです。


それゆえに、氏族的メシヤ圏を中心にして、皆さんが死ぬ前に「天国と地の間題の主人は私だ」と言わなければなりません。そうできない人は落ちていきます。消えてなくなるので

先生は一生の間、闘いながら、ありとあらゆる冷遇、迫害を受けても我慢してきましたが、二〇一三年まで耐える力はありません。文総裁には下に降りていく道がありません。どんなに進んでも、戻って反対に行く道がないので、私は私の行く道を進まざるをえない宣布式をして、立たねばならないのです。


これからは地獄の門がなくなります。きょうが最後に宣布する安侍日です。この朝に、天地人真の父母定着実体です。定着してこそ実体があるのです。実体があってこそ、み言を思いのまま注入して主人の位置になるというのです。み言は上へ行き、宣布は下に広げておいたのです。「布」の字を使うのは三度目です。


「布」の字を見てみると、「巾」の字の上に(ハングル子音字母の)「キヨック(ㄱ)」の字を書いて、そこから右側に白いものが見えますか? そうしておいて、その真ん中を中心に支えとして「巾」を書いたのです。「巾」の字の上に「民」の字の上の部分を書くと、葬式のときに書く字である「吊」(弔の俗字)の字です。死体を踏み越え始末し、その葬式の日に打ち勝

って、もはや天地に死がありません。