어머님御自身の証し




「어머님」三、어머님御自身の証し P39

1977年5月3日 御聖婚記念日 ベルベディアにて



主を迎える道


先生は今日、あなた方に私自身の証しと十八回目の聖婚記念日にあたっての感想を述べるように、と言われましたが、もしあなた方が三度の食事よりもっとその証しを聞きたいというのであれば、一日中でも話してあげましょう。


先週の日曜日にベルベディアで先生の説教を聞いた人は、何か真の父母をこの地上に迎えるために、特別な天的摂理的出来事が秘かに内的に起こったことを認識したことと思います。当時韓国には、聖書とイエス様を信じさえすれば天国に行ける、と単純にかつ盲目的に信じ込んでいるような、形式化したキリスト教団とは違った、特別な霊的教団が数多くありました。それらの教団は、再臨主を迎える道を準備し、主の花嫁を捜し出すために、神からの啓示を受けるということを唯一の目的として存在していました。


そしてそれらは私が生まれる前後の宗教的情況であり、私はそういう情況下に、ある特

別な霊的家庭の中に生まれました。



私は、神とたえず親密な交わりを持ち、主の再臨と新時代について、来たるべき主の日に何が明かされるかについて、啓示を受けていました。私が今日悲しそうに見えるのは、母の属していたその教団が、言語を絶する、実に信じられないような耐え難い苦難を通過せねばならなかった日々のことを、思い出しているからです。


彼らはたえず神の啓示を受けてきました。そして蕩減を払うことによって主の道を直くするために、実に信じ難い苦難の道を通らなければならなかったのです。そしてその中の多くの人が、あまりにも不運な事情の中で、ある者達は牢獄の中で死んでいきました。


彼らは天に選ばれ、召された器として、献身的に神に侍り、いつの日にかメシヤにまみえるという唯一の希望にすべてを託して、あらゆる苦難を乗り越えていったのです。


彼らは、再臨の主の来臨のためにすべてのものを、たとえばスプーンから衣服に至るまで準備しました。神の子をメシヤとして送る神御自身のプランについて、詳しく明かした啓示に従って準備しました。霊能者達は、サイズに至るまで非常に詳細な霊的指示を啓示されていたのです。


そうしてその言語を絶する苦難の中にあって、主の日に備えていた彼らは、不運にも、ついにその日を見ずして一人、また一人と死んでいったのです。その間その使命は、三代にわたって引き継がれ、それらの啓示の最後の頂点として、私が生まれたのです。


天のプロポーズ


私が生まれた頃、神がその御子を地上に送るための御計画を明かした、啓示を受ける使命を引き継いできた、最後の霊能者がいました。その女性は、私が六歳にもならない時に、この方こそ天の花嫁になるでしょう」と私が人類の母の如くなることを預言していました。その女性はその六歳にもならない幼い女性が、天の花嫁となるべく運命付けられている、という啓示を絶えず受けていたのです。


当時の韓国の情勢はとても厳しく、事実上はどんな人も、神やキリストへの信仰を持ち続けることは不可能でした。周知のように当時、我々は日本帝国主義の占領下にあったか私はその頃北韓にいたのですが、殊にその地域は日本帝国主義政府の支配下にあり、占領政府は、教会活動を強く圧迫していました。ですから事実上誰でも信仰を持ち続けることは不可能でした。


私は平安南道の安州で生まれました。そこは朝鮮という一つの国の三十八度線以北にあり、先生の生地の定州のある平安北道からあまり遠くないところで、先生と誕生日を同じくして生まれたのです。しかし私が北韓にいた間は、そういうことを知るよしもなく、もちろん先生にお会いすることもなかったのです。


当時、その神に予定され運命付けられていた教団は、主に北韓に広まっていましたが、その北韓の中心である平壌は、新時代の都、エルサレムになるであろうという預言や啓示がおりていました。


とにかくその地域はキリスト教の勢力が非常に強い所でした。私は北韓では先生にお会いできず、北から南へ渡ってのち、ソウルで初めてお会いしたのです。それは私が十三歳の時で、ちょうど小学校を終えたばかりで、今の仁進回を想わせる年頃でした。当時は母と一緒に入教したばかりだったのですから、ー九六○年に何が起ころうとしていたのか、知るよしもありませんでした。


初めて先生にお会いした時先生は、私をご覧になってとっさに一瞬目を閉じて限想された後に、先生は心の中で騒くように言われたのです、「おお神よ、あなたは韓鶴子というこんなに素晴らしい女性をこの韓国にお与えになりました。感謝致します」と。そして、「名前は何というのかね」と尋ねられましたので、「はい、私は韓鶴子と申します」と答えました。先生はその時一瞬瞑想されてほとんど独り言のように言われたのですが、私にはそう聞きとれたのです。



その時は、この宗教の教祖である先生が、自分の将来に関して特別な感動や啓示を受けておられる様子を見て、不思議に思いました。


その頃私は、競国の北東部にある忠清に住んでおり、もちろん先生は、ソウルに教会本部を持っておられましたから、二人は忠清とソウルに遠く隔っていました。私は教会も学校も続けて、中学校を終え、高校に進学しました。


今日その記念日を祈っている聖なる子羊の婚姻が挙行されたのは一九六〇年、陰暦の三月十六日でした。その日の一ヵ月前に、先生が幻に現われて神からの特別な啓示を受けたのです。「その日が近づいたから準備をしなさい」 と。


それから、いわば天の結婚の申し込みというより、天の指令が来ました。訓令があった時、私は完全なる無私の立場におかされました。私はその時、どうして自分にそんなにも大きなことの判断が出来るだろうかと思いましたから、無私になる以外にありませんでした。そして、「今までも私は御意のままに生きてまいりましたが、 今神の御意が何であろうと、神の摂理の目的が何であろうと、私はあなたの僕として、どんなことでもお命じになることに従います」と祈らずにはいられませんでした。



それは私が十八歳の頃の初春二月の頃のことでした。私は完全に無私になって考えようとしていましたから、その事情を分析するようなことはしたくありませんでした。神の御意に全面的に身を捧げることを、ひたすら願っていたのです。


当時の私は、むしろおとなしい方で、静けさと平安と、読書や音楽を好む人として学内でも知られていたようです。そしてかなり知的な女性としても知られていました。極端に感情的でもなく、極端に激しゃすくもなく、常に理性的で初めて会う人々にはむしろ少し冷たい感じさえ与えていたでしょう。


私のその頃の生活は、ほとんど修道女の生活のようなものでした。男性と行動を共にすることは一切避けていましたし、まるで温室の中に咲く特別な一輪の花のごとくに、完全に外の環境から自分自身を隔離していたのです。もちろん今となっては、それがいつの日か主にまみえ、主の花嫁となる者の聖別のための、天の準備であったことがわかりますが、当時の私は何も知らなかったのです。そして私の本来の性格も、そう外向的ではなく、いつも控えめで、俗界から離れて自分自身の世界を楽しむ方でした。ですから男性達に対しては、ほとんど完全に無視しているようなもので、周りにいる少年や男性選を、自分から見ることすらありませんでした。男性を見るだけでも、何か罪深く清くないことに感じら 唱れたからです。


어머님の十字架


外見から一寸見るだけで、先生がどういう方なのか知って見れば、あなた方は一様にそして単純に、私がとても幸せで、あらゆる面で完全な方に違いない、と決めつけていることでしょう。 「あなたは神がそのように創られ、もともと完全なものとして生まれたのだから、御自身は何の努力もする必要はなく、ただ、そういう位置に選ばれた方なのだ」と。そして「全天宙の母であること、先生に出会い、幸せな家庭をもっていることを楽しんでおられるのだ」というのが、私に対する、 人々の一般的な見方でしょう。


しかしそれに反して、先生がこのようにそういう位置につくべく運命付けられて、苦難ど十字架の道を歩まれる限り、私もまた、当然私として、信じられないような、耐え難く、負い難い十字架を与えられるのです。


もちろん私も初めから完全な人間として出発したのではなく、完成に達しなければならないのです。その達すべき基準はあまりにも高かったので、時には、ゴールに達することが本当に不可能にすら思えました。ぞの使命を果たし、神の期待に応えるためには非常なる厳しい試練と苦難と驚異的な信仰が必要でした。私はそういう立場にあったのです。


ひとたび、この様な事情と、自分が歩んできた路程について思い出す時、私は思わず涙せずにはいられません。何故なら、これらについて語っていると、苦難と試練の記憶のすべてが蘇ってきて、私にはそれを語ることはとても大変なことなのです。今朝、悲しそうな様子に見えるでしょうが、それはそのためなのです。


私が通って来た道は、ちょっと考えてみるだけでも、耐え難い苦難の連続でした。神は、まさに先生を試練されたとまったく同じ様に、何度も何度も試練を与えられました。そしてサタンもまた、先生とイエス様を試練したと同様に試練したのです。そのメシヤの通過,されたと同じ様な苛酷なる厳しい試練を、このが弱い女性が通過しなければならなかったのですから、まさにあなた方には信じられないような道でした。そしてすべては、歴史の秘密の一章の中に隠されてきました。ひとたび原理を知ってそれらの関係を見る時、私が聖婚記念日を迎えた今日に至るまで、いかに困難なる道を歩んで来たかを、想像してもらえるでしょう。


一九六〇年に子羊の婚宴が行なわれ、私は今は、この様に大いなる天宙的使命を果たしておられる偉大な先生と結婚した女性であるわけですが、先生のその天宙的使命をかい間見たならば、常人には、その様な使命を果たすということを考えることすら不可能なことです。


私は、グリーンハウスの中の美しい花の如く成長していました。平和な周囲の雰囲気の中で、自分自身、グリーンハウスで摘まれて、砂漠に持って来られた花の様に感じていました。


砂漠のような、それが自分がいた環境に対して言えることであり、いたる所に荒海が荒れ狂っているようなものでした。周囲は、一歩でればあらゆる誘惑と、試練と、様々に険しい政治的、霊的情況であったからです。私はまるで荒海の中の小さな小舟のようなものでした。


一方でまたこの頃は、自分の上に絶えす訪れた神の恵みを最も感じた時でもありました。私が苦悶のただ中にある時にも、神は御自身を顕わしては、啓示を与え、導いて下さいました。そういう直接の導きのない時も、周りにいる私を愛し、守ろうとしている人々を通して絶えざる導きと日々の指示を与えられたのです。


ですからその頃は、かくも厳しい試練と忍耐と困難の時であったにもかかわらず同時にこの時こそ最も美しく、神の愛と恵みの満ち溢れた、まさに神が共にいまし給うことを実感し得た時でもありました。


こうして完成に向かって苦閉してきた成長期間が終わり、今、天願う基準に達した自分がその頃を振り返ってみる時、その苦難に満ちた記憶のすべては,。喜びに変えられたのです。私は、先生といつでも深く語り合い交流することが出来ました。いいかえれば、先生と自分の間には、つきない話題と限りない理解があり、無限に満たされた会話がありました。二人はそんなに多くを語らずとも、深く互いの事情を理解し合うことが出来ました。何故なら、先生の通過してこられた事情と、自分の歩んで来た道は、厳密なまでに、あまりにも似ていたからです。二人には、共通の一なる目的を深く理解し、そのために不屈の信仰ですべてを配え忍び、あらゆる困難にうち勝って完成基準に達し、もはやサタンが一切侵すことのできない基準に共に至り得た、という勝利感があります。先生と私が、互いに見つめ合う時、互いに感ずる勝利感に、私は限りなく慰められ、平安を与えられます。


地獄を天国に変えて


最後にあなた方に一言語っておきたいことがあります。私は自分自身の体験を通して、神について、神がいかにしてその御業をなさるかについて多くのことを知りました。私の 人生において、まさに天国と地獄とを共に通過して来ましたが、そのどちらも、神の期持する完全な成熟した人格を形成するために必要なものだったといえます。


もし私が、天国の喜ばしい生活の方だけを味わっていたならば、天国の生活をそんなに深く味わい、感謝することが出来なかったでしょうが、 私は、地獄の最低の底をも通過して、その苦い味も味わったのです。「これ以上こんなに難しい道を行き続けることは私には出来ません。絶対に不可能です。神よ、なぜ私にこんな道を行けといわれるのですか。」と問うたことも、数えきれないほど幾度もありました。私に必要だったのは、まさに倦むことのない、不屈の信仰と決意と忍耐であり、それが今日の私を作り上げたものだといえるでしょう。


もう一つ言っておきたいことは、あなた方の天国に行く道において、天国的な面だけを期待してはなりません。地獄的な面も当然予期しなければならないのです。地獄の底の土牢を通過することも当然予期しなければなりません。そしてそれこそは神の恵みの最も尊い部分であるともいえます。それを通過することによって、あなた方はより堅く立ち、強くなることが出来ますし、円満で総合的な人格、 神的人格を成熟させることが出来るし、天国をより深く感謝することが出来るからです。そういう体験のすべてが、いつの日かあなた方の誇りとするものになることでしょう。勝利と忍耐の記録こそは、いつの日か、あなた方の誇りとなるのです。


この二、三日先生は、あなた方に魚釣りの競走までさせられましたが、その時あなた方はふと心の中で、「なぜ先生はこんな馬鹿げたことを私にさせるのだろう。こんな天候の時に水の中に入ろうとする者がどこにいるだろうか。そんなことはできっこないし、川はこんなに深いのだから死んでしまうかもしれないではないか」と思ったことでしょう。誰しも、ほんの一瞬でも、ふとこういう思いがよぎったことがあるに違いありません。


「なぜ先生はこのような気狂いじみたことをなさるのだろう。どうしてそんなことをしなければならないのですか、私はそんなことしなくていいでしょう。 私は出来ません」 と。


しかしそういう瞬間こそは、あなた方が性急に決めつけて審いてはならない時なのです。その時こそ神の名を呼び求め、祈り、自分自身がいかに価値ある者かを証明しなければならない時なのです。そうすればその試練を通過し、乗り越えることが喜びに変わることでしょう。そしてなぜ先生は、あなた方を泥の積もった川の中に入らせたのでしょうか。その様な霊的試練の時こそ、そういう想いがどんな人にでも正常な人は誰でも、正常で自然 な本能的想いとして、思わず心の中によぎるものなのです。その度に、いかにしてその想いを克服するか、それを喜びに転換しうるか、ということが問題なのです。


私の全半生は、毎日毎日が、まさにあなた方の魚釣り競争に哨えられるようなものだった、ということができます。私が言っておきたいことは以上です。ですから、あなた方はいつも忍耐強く、不屈であってほしいのです。何事も性急に決めつけて審いたり、すぐに反発したりしないようにしなければなりません。 そうすればどんな厳しい試練も、喜びに一変することでしょう。それこそいつの日にか誇りになるのです。


私の今朝見せた涙には二つの意味があるのです。一つは悲しみのそれですが、単に悲しみの涙ではなくして、喜びの涙でもあることを知ってもらいたいと思います。勝利した喜びの、そしてこうして先生と共にいることの出来る、喜びの涙でもあるということを、実際その様な二重の意味を持った涙だったのです。


そしてこれからはただ喜びの涙だけを流したいものです。ですから、「どうかこれからは、私の過去のことは尋ねないで下さい。ただ勝利的な未来について、そして未来の大いなる理想についてのみ語ろうではありませんか」と、あなた方にお願いしたいのです。未来に来たるべき大いなる日のために何度でも喜びの涙を流して喜ぼうではありませんか。





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