2000年4月1日のメッセージ

2000年4月1日


マンハッタンセンターでpalatin (people assembly of love teen international network)レコード会社を作って、登録しました。これは純粋に2世たちが運営するレコード会社として男性と女性の2世たちがこの会社に来てお互いに競争することができます。この会社は一種のインターネット放送局としてこれからこの会社で音楽を管理するでしょう。 インターネット放送局を通して24時間新しい音楽を聴くことができます。 7年前にマンハッタンセンターにグラフィクデパートメントでこのことを計画するときには1,500,000ドルぐらい必要でしたが、今は技術が発達してとても安い価格でこの会社を始めることができました。


一般ラジオ放送局でも1日100曲を放送するのは簡単ではありません。詩を100曲持っていても1日2回ずつ反復して放送すれば24時間の間曲だけを流すことができます。 私たちの会社では純粋に音楽だけ流す事が出来ますが、後になってサイバーDJも持つことができます。 ビデオまで取り組めばより良くなるでしょう。 インターネット放送局を成したい人がたくさんいますが曲がなく始めることができませんでしたが、私たちは既に作っておいた曲があるから、これをすぐにでも始めることができます。


私たちがする分野で最高になりたければ死を覚悟しなければいけません。最高になりたいければすぐに戦いができなくてはいけません。これが現実です。 だれもタダでくれません。


チャンピオンになりたければ誰かの後ろに隠れていないで前に出て戦わなければいけません。 チャンピオンになるために死を覚悟し戦う心がなければ最初からチャンピオンになろうと思わない方がいいです。 チャンピオンになるためには多くの夜を1人で過ごさなければいけません。


世の中の人たちが心地よく夜寝ているときも寝ることができません。同じ家で住んでいる兄弟や父母が寝ていてる時も寝ることができません。体が痛いときも自分自身に休まず死を覚悟してより一生懸命仕事をしなければいけないと語らなければいけません。体が痛い度ごとに続けておしていかなければいけません。 休みたいごとに死ねば永遠に休むことができるのにとしながらその疲労を飛び越えていかなければいけません。


なぜこのようにして難しい仕事を願うのか?自分自身がしっかり知らなければいけません。 中途で簡単に放棄する人たちを好きな人はこの世の中に誰もいません。


私たちが始めるこの事業は競争がとても激しいです。 この分野で仕事する人たちは自·工自身が最高であると考え、事業もよくできると考えています。 この事業は純粋な理想、 純粋な考え、純粋な概念そして純粋な夢を与えることであります。


ある面では私たちの生活に絶対に必要で触ることのできる衣食住と同じことがあるとすれば、逆に触ることのできない理想や夢のようなものもあります。 触ることのできないものは、触ることのできる衣食住と同じくらい必要であり重要であります。 ところがこの事業が衣食住のように触ることができないために保証はありません。このことのために死ぬ覚悟がなければ他の事業を考える方がいいです。この事業は遊びではありません。


この事業は、アメリカの資本主義社会の中のひとつの会社であるゆえに、変化に敏感でなければなりません。資本主義社会は、早く変化するためであります。もし1度を与えられた機会を失ってしまえば、そのまま永遠に滅びてしまうでしょう。


自分自身が何をしているのか知らなければいけません。自らが知っているある人たちを1度説得してください。 相手に私に対する概念を変わらせることがどれだけ大変なのか難しいのか考えてください。


自らが父母に対して自分が願うあることを理解してもらおうと試してみてください。 このことも簡単ではありません。ところでよく知らない人たちに私が騒がしい人であり私のしてる仕事が正しく私のしている仕事がその人が願うであろうということを説得しなければいけないということは私たちの現実であります。これはそんなに簡単ではありません。


1歩1歩うつる瞬間ごとに重い重圧感を感じています。 なぜそのことを願うのか。何の理由でこの仕事をしようとするのか。 私は尋ねませんが自分自身を考えてみなければいけません。私が彼らとともにいながら知っている限り多くの先輩たちが一生の間、この仕事をしてきてより良くするために毎日努力しています。 彼らが1人でいるときは彼らが何をしているのか私が知ることができず知りたくもありません。 彼らは他の人たちに何を期待しているのか知っています。


この言葉は私が語らなくてもいいです。 このことが彼らの職業になり彼らの人生のために私たちは、他の人から何の忠告も聞きたがらないようにならなくてはなりません。


なぜこの仕事をしたいのですか?して難しければやめるでしょう。 そうではないと信じることができます。死んでもなしたいというならば私がやるなといっても辞めないでしょう。 仕方がありません。しかしそのような覚悟がなければ今放棄して、むしろ始めない方がいいです。 あとで失望をもしなくていいでしょう。


夢を追うことに対してひとつ付け加えることは私たちは毎日毎日の結果をすぐに見ることができるということであります。毎時間、毎分毎秒ごとに、 理想的な結論と相対するとき、すぐにその差を知らなければいけません。


理想と現実の相反は瞬間瞬間生じますが、その次に瞬間にそのことを変えなければいけません。より良く作らなければいけません。そうでなければ私たちは他の競争相手を作ってしまうのです。 現実はそのように難しいのですが、なぜこの中に入っていきたいですか。必要性を感じているからです。しかし大切であればあるほどをそのことを十分に知ることは難しいです。


この仕事は基本的に半分だけして成されるのではなく、むしろ全てをなすか、 またはしないほうがいいです。 適当にしては通じません。待っていてはいけないし、今あるのかないのかが大切であります。


私がもってる新しいことを、続けて見せてあげ証明しなければいけません。死ぬまで続けて習いにそのことを限りなく拡大させていかなければいけません。


満足すればすぐに死にます。この職業は満足し始めればすぐに死にます。 自分自身を大きくさせるのはそのように簡単ではありません。 人が幼い時、肉身が大きくなるときにも体がズキズキ痛くなることが伴うではありませんか。機械的な次元でもそうであるのに精神的な次元ではそれも競争中心としてなすことが簡単だと思いますか。より難しいです。 より苦痛であります。それだけは知らなければいけません。なぜですか?なぜそうなのか分かりますか。 することが嫌いなのに続けてしなければいけないし、まず神経をたくさん使います。続けてしてみれば体が落ちていき始めます。疲れ始めます。 体が耐え得ることが難しくなります。体が痛くなります。 それでも続けてその痛みを越えていかなければいけません。しかしそれぐらいは立てた目標をもってみればひとつの部分的なことであって段階であって全体的なことではありません。芸術は永遠性に触れるために全体にに触れることはありません。私たち段階的にそれに到達したとしてもそれが終りではありません。


そこでまた他の目標に到達しなければいけません。死ぬまで続けてそうでなければいけません。 そうしなければいけないのです。 ところでそれをしたいということですね。 そうであるならば私がやめさせるわけがありません。止めはしません。ところがそのような覚悟がなければいけません。そのような覚悟があったとしても可能であるとも限りません。それぐらいは覚悟して初めても成されるか成されないかは保証はありません。


自分自身の人生をそのように選択してその道をいこうとするならば止めはしません。だれが責任を持ちますか。各自が責任を持たなければいけません。私はできることはしてあげます。してあげることはすべてしてあげます。 そのような環境をつくって要件をつくってあげることができますが自分がそのようにすることは自分自身が責任を持たなければいけません。 最後には自分自身1人で戦わなければいけません。


自分自身が勝利者にならなければいけません。自分の名前は自ら探さなければいけません。他の人がどのようにして自分の名を探すことができますか。 そのような概念が自分の中で成立されるならば堕落という概念が生じません。 それでも成したければ悟ってなしなさい。


この事業に対し明確に忠告したいことはこの仕事は死ぬまでしても決して簡単ではないということです。この仕事は同じことを反復するのではなくいつも新しいことをなさなくてはいけません。そうでなければ死の道しかありません。 この仕事は毎日毎日新しいことを作らなければいけません。 1年に1回や10年に1回づつ成されるのではありません。


コーンフレークと同じシリアルを販売する、そのような仕事ではありません。毎日毎時間毎分毎秒できるだけ多くのことをなせば勝利する機会も多くなるのであります。これが全部です。


ある季節と関係なく続けていくようにしなければいけません。そのことは時間や空間を超越します。それは純粋なアイデアを持ってしなければいけません。 考えることができる限り毎瞬間そのアイデアを変える必要があります。 それをより良くする分だけ自分自身に良いチャンピオンになり、その道に1歩づつ1歩づつ近くなることができるのであります。


そのようにしないでおこうとするならばむしろ始めないでください。そのことがまさにつらい人生であります。 そうであってもその道を選択すれば私はとめることができません。同時に私は助けてあげますが、自分自身がWIT(機転)総動員してしなければいけません。自分自身ができる仕事をひとつ定めてその仕事を正確にこなさなければいけません。演奏するなり、作曲するなり、あるいは歌を歌うなり特定な分野で自身の頭の中に潜在している純粋なアイデアを全体の目的に注ぎ、私が見ることができるようにしなければいけないのです。


いつも考えることは最後には自分で立たなければいけないということです。


世の中が審判するその基準のために自分自身が審判を受けるのです。その審判が1度だけであれば問題ありませんがその審判が死ぬまでなされるということを知らなければいけません。


少し関心がわくでしょう。なしてみたいに刺激がきて惹かれませんか。魅力があるように見えませんか。


このことがとても仕事が難しいことであるがゆえに彼らが認めるレベルに上がって成就して次に感じる感嘆と栄光が大きいという魅力を感じるのであります。このことが私たちがなさなければいけない現実であります。


そのようになるために私たちが続けてできるようにならなければ、飛んで落ちる鳥のようにあなたたちは死んでしまうかもしれません。 もし自分自身がうまくできないとすれば、その仕事をむしろやめて他のことを探すほうがいいです。 もちろん演奏者にならなくても技術者になったり、 他のことをしてその事業に同参する道はいくらでもあります。 もし自分が集会や祝賀の場に立ちたくてもその分野で才能がなければ舞台に立つことができません。


自分自身が何ができるのかを知ることが大切であります。すること、できないことはしないほうがいいです。 それはしてもよくできません。しようと思えば神様がくださったその才能を利用して特別奏でてできなければいけません。その才能をよく磨いて完璧になるまでその才能を維持して管理することも知らなければいけません。


もう1度いますが、強点と弱点を知り、収めることを知らなければいけません。そして弱点を補うことはできる秘けつもなければいけません。年が若くても人生というのはある与えられた時間があり、ある過程があり、永遠性がないためであります。 ゆえに人間は時空的な次元で自分自身の立場を知り主管することを知らなければいけません。 自分自身の立場、身分を知り主管することを知らなければいけません。過分な欲望をを持たず選択しなければいけません。


どんなことでも、全てできるということは子供たちもすることができるので、永久性を持って可能性が生じるでしょう。自らは世の中に現れ、見せてあげるにとができるある栄光を探すためには、生まれ付いた才能をなくすのは愚かなことです。そのことは願わしくないだけではなく成し遂げることができません。


時間を主管することができないので負けるのであって、勝つことができません。才能があれば時空的な次元で時間を主管することができるのであって、才能がなければ毎日頭だけ抱えて悩むでしょう。 このことが理想世界であれば私たちはすべての時間を活用することができるでしょう。なしたいことをすべての人がなすことができるでしょう。 しかし理想世界ではないために定められた時間内に何かを終わらせなければいけません。


どんなことであっても妥協することのできない締め切りがあるためにそれを守ることができなければ考えてもいけません。しなければいけないという考えを捨て現実にしなければいけないと自分自身を圧迫しない方がいいです。 自分を編さないでください。価値がないのでしないでください。


これから10年の間この仕事をしようとするならば10年後、自分自身がどのような姿で成長しているか描いてみなければいけません。そこに自分がなければむしろ始めない方がいいです。


木を植えるとき、その木があるレベルまで育たなければその木はつまようじを除外しては家具などを作ることができません。 人が木を植えることは、木を植えた何年かのちにあるところまで育てば伐採してある家具を作ったり必要なものを作ったりするためですが、その木がある程度のレベルまで育たず標準にみたなければその木を育てる理由はないではないですか。


もう1度訪ねてみたいことはなぜここに参加したいかーということであります。 ホントに自分自身ができると考えることができればしてみてください。 止めはしません。しかし自分自身が途中で放棄すればどうなりますか。 自分自身の時間だけ消費するのではなくその仕事に関連された人たちの時間も浪費するのであります。


そのような仕事が多く生じれば私たちは座り込んでしまい他の競争者たちはより発展していくでしょう。前進していくでしょう。


そのような仕事が本当に多く生じてきたために、私がきた今、生じさせることができません。 絶対にダメであります。 しかしそのことを私が絶対にしなければいけない生死をかけてすると確信を与えれば止めはしません。 しかし私にある程度の量に対する否定や願いがあることをを知らなければいけません。 することに対して最後には自分自身が責任を持たなければいけないということを知らなければいけません。 最後には自分自身に対してどの程度まで責任を持たなければいけないかということ知らなければいけません。 それでもしたければ1度でもしてください。 しかし死ぬまで毎日そのように死のうとしなければいけないでしょう。


伴奏曲で作家が仕事しようとしても文字を十分使わなければいけません。 言葉に従って違います。 同じ言葉を使ったとしても表現にしたがって感じ方が変わってきます。 空が晴れている。 空が青い。 ということと空がうららかだ。空がのどかだ。 という表現は雰囲気が違うように雲ひとつない空である。 そうすればまた雰囲気が変わってきます。このように言葉ひとつをもっても人を正しい道に導くことができます。


芸術は未来志向性を備えているために人々を引っ張って行くことができます。私が理解するこの現実の中で人たちをどのようにして未来のある地点に引っ張っていくことができるのかということ知らなければいけません。


私の言葉を変えたとしても、 歌を歌ったとしても絵を描いたとしても関係なく私の知識を持って他の人たちを引っ張っていくことが私自身の芸術的才能であります。 何をするとしてもそのことは同じことです。 未来のイメージを与えると考える自然的な現象をもってどのようにして人々を引っ張っていくのか、私たちがどのようにしてこのことを成し、 より良く処理していくのか、このことが私たちの究極的な目的であります。


必ず歌を歌わなくても私たちがなすことできるさまざまな他のことがあります。 よく歌を歌う人たちのために作曲することもできるし、楽器を演奏することもできるし、歌詞を書くこともできるし、ビデオや映画を作ることも、助けることもできるし私たちができることはとても多いです。


最後には医者を伝達するのであります。 声でするのか、視覚でするのか言葉でするのか関係ありませんが自分自身がどれだけ愛するのかということを語らなければいけません。 それゆえで自分自身が何をできるのかということを考えてみてそのできることのために自分自身を犠牲にしなければいけません。


本当にこの分野で仕事をしたいですか?このマルチメディア分野で仕事をしたいですか。 マルチメディアはオーディオパート、 ビデオパート、 グラフィックデザインパート、映画パートがありますがこの分野で仕事をしたい子供たちがたくさんいます。


故にこの仕事がどのようなものなのか説明しているのであります。 いま必要なことを語りました。 それでもしたいならばその分野別に1番いい助言をし助けることできる良い人たちがたくさんいます。 皆さんの知らないことを彼らが知っていれば彼らが1番早い良い道を教えてくれるでしょう。 どのようにして1番早くポイントAからポイントBまでいくことができるのか教えてくれるでしょう。 彼らは自分自身の知識を欲張りのようにつかんでいるのではありません。 もしあなたがたがよくできると考えれば彼らが持っている最高のアイデア知識などを何の条件もなく与えるてくれるでしょう。 しかしこのことに頼ってはいけません。自分自身が努力しなければいけません。この仕事に対して人々がどのように考えたとしても私たちは関係ありません。


必要なことがあるのですから私が準備するのであります。 必要なことが理想的にはすべて準備されていなければいけないのですが、 準備されていないではないですか。そのことのために準備することしか考えてはいません。他のことに神経を使うことはできません。 私たちがする仕事は目的がはっきりしていて責任者がより一生懸命働いたとすれば何をもってともに仕事をする人たちが不平をいうことができません。


世の中を救うために死ぬ覚悟をして私たちの目標を成し遂げるために最善をすべて尽くすことしか暇がないでしょう。話をすることは簡単でありますがそのような人たちに十分に仕事をさせることは責任者がまずしなければいけません。 そうでなければしたがってきません。 十分にしないで適当にします。 うわべだけでしても裏ではしません。


責任者が続けてそのように努力して犠牲が伴えは発展があります。 続けて発展するのですから騙すことができません。 うわべだけ現すことはできません。 より一生懸命する責任者にはそのようなことは通じません。 それでもしたければ1度してみてください。 助けてあげます。





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