2000年4月27日のメッセージ

2000年4月27日

私にとってマンハッタンセンターはひとつの祭物です。 だれかに誇るのものではありません。これから2世たちを助けるためマンハッタンセンターがまず立場をつかまなければいけません。すべてには順序があります。


マルチメディアは宣教のためにお父様に必要であると考えて始めました。 故に私はマンハッタンセンターを常に祭物と語るのであります。 キリスト教の歴史は2000年でありますが年をとったイエスに1度も対したことがありませんでした。この言葉、人間が人類歴史において理想的な人生の生涯路程の為に四季をすべて歩いていかれた先駆者の典型路程を発見できなかったという言葉です。


仕事をするときはチームワークが大切です。 正分合作用のようにまずひとつとなった次に繁殖のために分かれるのがいいです。


命をかけてできるかができないかですが、この世の中で保証がどこにありますか。 自分自身ができが良いと考える人たちに教訓を与えなければいけません。


自分自身が自ら支えるように作らなければいけません。自分自身で考え話すことに対して人から支えられるようにならなければいけません。責任者は必要なときは月給を支給されなくとも仕事ができなければいけません。


素晴らしい人になる道は他でもありません。人々が自ら自身で愛することのできる状況をたくさん与えなければいけません。人が私のためにと考えることができるように教育しなければいけません。たくさん教育できればできるほど良いです。なんといっても愛することができる状況をつくってあげなければいけません。仕事をともにするという心を持つようにしてあげなければいけません。私たちはともに生き、 ともに死ぬという心を持たせることが必要です。言葉もそのように語り、行動もそのように行動すればどんどん近くなるのです。


そうすれば近くなるなんといっても近くなります。 嫌いになろうとしても嫌いになることができません。自分自身に何のために死ぬのかという話はために生きるために体を犠牲にするということですから実行してもいいですが、そうでなければ人生きながら不必要な言葉は語らない方がいいです。


お金はときになれば入ってきます。お金がないといってもこれから稼がなければいけないお金を私が持っていると考えればそのお金は入ってくるようになっています。


天国はより犠牲になるものが入るようになっているのですがなにが惜しいですか?体も惜しんではいけないのに他に何を惜しみますか。


難しければ難しいほど心もともにしなければいけないのではないですか。しなければいけない目標が定まればその仕事は初めてみなければいけないのであって心配してなされるのではありません。始めてからもたくさん心配することがあるのに始める前に苦労する必要がありません。いった始めれなければいけません。したことのない仕事はどれだけできるかだれもわからないではありませんか。


人がしたことのある仕事を私が死を覚悟してする姿を見せてあげるとき、他の人たちに恵みを与えるのであります。


仕事をしてしまえばどうですか。


人のために死ぬことのできる仕事があるということは幸せなことです。その仕事のためにともにする人たちを育てることができれば本当の意味で自立ができるのであります。


ともに戦うことができる人間を作ることができれば自立できるのであります。重いものを持ってともに耐えることができる同士が必要です。何かを持とうとすれば足が3本必要です。2本足では耐えることができません。


もちろん多ければ多いほど良いです。そうすれば自立が可能です。育てることができる人がたくさん必要です。そういう人たちを作るまでは自立ということを話さない方がいいです。 そうすれば大きな家族会社がなされます。 神様も1人では理想世界をつくることはできないではないですか。 神様も四位基台が必要ではないですか。


人をつくり育てることが1番大切です。 そうすれば自立が可能です。 自立するためにはともに死のうとする人が必要です。


そのようになるまでは責任者がまず死ぬように努力しなければいけません。 そのようにできなければ自立という話をしない方がいいです。 ともに仕事をするものからそのような約束を受けるところから自立が始まるのであります。 そしてそのような意欲を各自が持つように教育しなければいけません。 そのようにできればその時はで自立はなく発展になります。


自分とともに仕事をする人をつくるのもたくさん時間かかります。もちろん助けることができる人が多ければ多いほど良いのです。 責任者は最後まで祭物の路程を行くことによって自分自身を主管することを知らなければいけません。そうすればその責任者は永遠に権威を持つことができます。 栄光を受けようとする道はために死ぬ道です。


事業は1人でなされのではありません。どのようにしても共に仕事をする人が私と共に死ぬことができるように説得しなければいけません。それは責任者まず見本を見せる道しかありません。 それ以外は他の人々を説得する道がありません。そうすれば相手がみとめ自然屈服します。 これが1日でなされるのではありません。


自立を願えばまず共に死ぬことのできる人をつくる事から始めなければいけません。


ある目標を定めたとしても最初その仕事を始めるときに行く道が見えず、その道の最後もみえず、自分自身がある草むらの中にさまよっているときがあります。 しかし始めれば最後まで押しとおしていかなければいけません。 その仕事の中に何かを学び、 自分自身を探すまで続けてしなければいけません。 そのことを探そうとどんなに難しくても座りこまず放棄せずより進もうとしなければいけません。続けて押し通していけばある瞬間に自分自身の行く道が見え、その道の最後が見えるときがあります。 それを体で感じ頭で理解され認識されればそれがまさに発展になります。 故にその道がすべて終わってからお父様に捧げたときや~私の息子、ご苦労だった、 結局なしとげたな、 やはり私の息子だ。 とその一言ですべて終わるのであります。 それ以上のことは必要ありません。


これが私たちがする仕事の結論であります。 人がために生きるようにこの世の中に生まれたならばこの世の中を生きながら惜しむことがありますか。 できるところまでために生きて死ぬのが人生であります。


人生がロウソクであれば早く燃えれば惜しむことがないではないですか。人生は1度しかないのですから1度付けて消すのであって火をつけなければいけない時に人がいれば火をつけなければいけないのであってどうしますか?1日に1本マッチを用意すればいいではないですか。しかしにぬれている人は簡単に火をつけることができません。 ロウソクが濡れていればマッチ1本では火をつけることが出来ません。 注意して火をつけなければいけないし明日またつけるためには今日消したとしても注意して消さなければいけません。 あるときは火を続けてつけていなければいけません。 発電所がなくしては電気がないように発電所があればスイッチをつけるだけで電球に明かりをつけることができます。指導者は発電所と同じ仕事ができなければいけません。 最小限度の発電機になれば小規模の指導者にでもなることができます。 自分自身の広さと根気を見せてあげることが出来ます。 まずは自ら話すことを守ることであります。 それよりもいいことはありません。


何かを見せてあげ自分の約束を守ればいいです。それがまさに根気です。サッカーやマラソンなどを通じて見られる根気は象徴的なことであって現実的なことではありません。


現実での根気は人間関係です。 人間関係では言葉が大切であるがゆえに約束がまずは優先です。 約束は必ず守らなければいけません。 故に人生を生きるのが難しいです。自分自身が約束を守ることができなければどうしますか。1度約束したことはどんなことをしてでもなさなければいけません。それがまさに根気です。 そこにすべてが出てきます。

  • YouTube
  • Twitter

©2004-2020 CanaanStation All rights reserved.

All other trademarks and copyrights are the properties of their respective owners.