2000年5月11日のメッセージ

2000年5月11日


白人は自分なりに世界を制覇している本拠地であると考えてすべての最先端技術の原初が自分たちであると倣慢です。


人たちはそれでもお父様の御言葉によるとそれでも考えようとする基本的な本心のパターンがあります。 白人たちはよく考える人種でありますから、さまざまな詰まった考えがあるときに使われるときがありますが人種の壁を持って見るときに世界を整理するときにこれから彼らの役割が大切であります。 世界を見て反省しようとする姿勢がアメリカのような国で見られます。


この き個人主義的な解放を中心とした自由を持っていますがお父様が語られた絶対価値がないために多くの限界症状が生じてきます。極的な問題が生じ極的な事態に陥っています。基盤をアメリカに持つことができれば白人をつかむことができるし、世界の様々な人たちをつかむことができます。


アメリカの文化が世界に開放になり世界の文化が低質的に変わりました。それを計算しようとすれば時間が多くかかり難しいです。 それを清算する唯一の希望があるとするならば、それはアメリカしかありません。ゆえにアメリカで立場をつかまなければいけません。 芸術は人間のある誇りを刺激し理想的な生を尊重し貴重視するのであります。それが芸術の革新になります。そのような次元で人種間を超越してさまざまな芸術作品を通じて人を統合させることができる機会を準備してあげるのです。


中国は中国なりに倣慢であり1つの民族を中心として国家が形成されて世界でいちばん人ロが多くても世界勢が遅れています。故に自らたちが経済競争の隊列に入っていくためには白人の文化を受け入れなければいけないために自分なりの問題が生じてきます。アメリカは移民によってつくられた国であるためにさまざまな民族が集まって生活しています。 中国人は昔から僑胞たちがが入ってきてアメリカにおいて長い歴史を持っているがゆえに最悪の場合において人種的隔離や阻害政策に反対することができます。


どの国においても矛盾が生じます。 まずアメリカが世界の最高に上がっていき矛盾が1番多く生じてみるので、人たちがそのことについて批判するのであって矛盾はどこにでも存在します。 韓国で仕事をするのは易しいですが世界化するにはアメリカを通じて仕事をしなければいけません。故にアメリカを捨てることができません。 基本的な衣食住だけを解決してあげれば学ばなければいけない理想に生きているためにその理想を描く環境の中で文化と芸術を探すことを願います。 それを探すことが難しいのであって簡単ではないことを知らなければいけません。


バカと英雄は紙一重です。 普通になってはいけないではないですか?バカな人たちが英雄になることがあります。打算的には人たちがまねができない無理な仕事をすることができません。 そうであるので英雄というのです。考えを持ってい理論的に突き詰めて打算的にすればかえって苦労する人がいないでしょう。自分も知らずに瞬間的に決定するのであります。 奇跡を超越するある境地に到達すればその立場に上ることができますがそれを打算的に考えを持って上がることができません。人がしない仕事しようとすれば打算的な考えではなく馬鹿のような冒険をしなければいけない。 考えてみてください。 打算的な頭脳を持って考えるならば神様の仕事がどんなにばからしく見えるでしょうか。同じ空間で仕事をする人たちであってもいろいろな人種をひとつに結ぶということが簡単なことではありません。 人によって見る角度が違いますが、真剣に絶対的に死を覚悟して仕事をすることを見せてあげなければ彼らをひとつにすることはできません。


よく生きるよりもよく死ぬことの方がより難しいです。 その様な次元で1つにならなければいけません。そうでなければ適当にしようとするではないですか。 同じ単一民族だけでもそうであるのに他の人種たちとどのようにしますか。より知ればよりすることができます。 男性には一生懸命することが魅力であるために死を覚悟してのひどくしなければいけません。人が知らない道をまず行く人たちは死んでもよく生きようと考えてはいけません。


これから難しくなればより難しくなるのであって苦労する覚悟を硬くし、それがすべて個人の責任分担であると考えある状況も寂しく考えずそれを自分の人生があると自らをプッシュし難しく考えず寂しくなく生きなければいけません。 私たちがこうでなければ次の世代3世たちがこのように生きなければいけないのです。次の世代たちは時代がまた違うためにある基板の上に仕事ができるようにしてあげなければいけません。 その次の世代は混乱を嫌い始める環境でいきたために個体的な価値を知っています。何故ならば要件がそうであって環境がそうだったからです。 成長する時に育っていた環境を見てきたためにすべてのことが初めにおいては直接見て感じて説明できなければいけません。そのことのために死ねばむしろ良いです。


次の世代は死ぬための戦いができません。相手が強ければ強いほど妥協しなければいけないとき挑戦しまた挑戦しなければいけません。 彼らと妥協すれば利用されるのであります。どんなに自分自身の立場が不安だったとしても倣慢な人たちには戦って勝たなければいけません。妥協してはいけません。 妥協して降伏するということは話になりません。 倣慢と戦うためには死の道しかありません。 死ぬほど苦労する道しかありません。つらく戦わなければいけません。競争で勝つまで続けて挑戦しまた挑戦しなければいけません。戦うこともできず微慢な人たち恐れ妥協すれば危険です。 そのようにして良いことはひとつもありません。小手先のような者たちがその妥協を簡単に受け入れ後頭部をたたきます。資本主義世界はクズ拾いのようなものであるために妥協してはいけません。 相手が私を知っていると考えれば相手の餌食になります。鷹の餌食になります。 この世の中は朝飯前が好きであり流れに流され言葉だけの人が多くいます。話すときも十分に知識を得て話さなければいけないし、そうでなければ難しくなります。 相手はそう簡単ではありません。


自分の仕事はだれも代わりにすることはできません。最後まで自分自身で成さなければいけません。 世の中にいる賢い人たちに勝つためには人がしないことをしなければいけません。すべての人が必要でありますが、人がやらないことを選んで十分それをしなければいけません。 自分自身の仕事はだれも否定することができない犠牲の道を通じて自らその仕事を完成するとき自分自身の完成がなされます。できることならばどん底から始める方がいいです。 そうでなければ世の中の99%はどん底からはい上がってきますから他の人が認めてくれません。


特にアメリカのような国では個人主義であるために自分自身の実績があれば相手から十分評価を得ることができます。東洋は少し違いますが西洋では実績がなくして現れるものをあざ笑い目障りにする傾向があります。特にアメリカ人たちは特にそうです。難しい人たちがアメリカを開拓し、よく生きるようになったのではないですか。 アメリカに生きている人たちは難しく困難な生活をした恨みがありその血族であります。彼ははぞんざいに扱われながらも理想世界を作ってみようと骨を折ってきたのは事実であります。そうであるためにアメリカ人たちは主体性と個体性が強いです。ある背景を持ってそのような人たちを統治することができます。 背景もあり自分自身がそのような人たちの前に固執する何かがあればいいでしょう。もちろん固執することはよくはありませんがそれが人生のひとつの例になってその人たちに恵みを与えることのできる人生を生きたならばそれを通して素晴らしい人になるのです。すべての人がその人を好きになります。


お父様が続けて反対と批判を受けながらも共産主義と戦って勝ったことが良い例になります。 アメリカにいる左翼の中傷謀略を受けて多くの困難を受けながらも踏ん張って立ち上ってこられたためにその時アメリカにいる僑胞社会に受け入れられました。ゆえに1段階ずつ私たちが立場をつかんで出ていかなければいけません。 究極的にお父様の理想があるがゆえに理想世界をつくるためにはそこに必要なすべての要素を最高の次元で提供しなければいけません。


価値と質的な問題において私たちが世の中の人たちに私たちが遅れていない面を見せてあげなければいけません。 そのような新しい芸術と文化が世の中の生命要素になるために世の中の人たちが見るときに希望を持つことができるようにしてあげればそのことが氏族的な発展として連結されていくのです。 そのことを感じ始めていくのです。 このようになされるのである。このようにすることができると感じることができれば考えを完全に変えることができます。


思考と概念の転換が可能になります。 故に整理が自動的になされたとするならばそこから生活に連結されます。生活的な面と文化的な面は直接連結されているためであります。 そのようになれば自然に現れ、変わるようになります。 私たちの理想をもって生活に必要なすべての要素がすべて整理されるので現れ見えるようになります。 そこからくる余波から刺激を受け恵みを受ければ自然に変化と発展が成されるのです。


勝つためには仕方なしに難しく生きなければいけません。 他の道があればなぜこのような難しい辛い道を行きますか、他の道がないからこの様にするのです。このような難しい環境で生きながら人を愛しひとつのために生きることを選択したためにその道は難しいですが善を選択しなければならないのでがあって悪を選択することができないからです。善を選択しなければいけないために選択権がないのであります。


この道は逆説的です。 完成するために善と悪の中でひとつ選択しなさいということは逆説的です。天使長もそうではありませんか。天使長はアダムとエバにとっては養父であったではないですか。 そうすればアダムとエバに対し、 嫉妬を抱いたでしょう。 しかし最後には人間が完成することによって自分自身の責任分担を完成するためには選択権がありません。 ところが他のことを選択したがゆえにサタンになったではないですか。つらいですが仕方がありません。


毎日同じ仕事を新しくすることがどれだけ難しいことかしてみないとわかりません。今日までした仕事を明日のために消してしまわなければいけません。 1日だけ生きるかげろうのように生きなければいきません。それでも共に苦労する人たちがいれば同志意識のために耐えることができ勝つことができます。


願う目標を成し遂げれば人に対してこのようにすればできるというイメージを与えることができ忘れることのできない教訓を与えることができます。 そのような実績を持つために難しい路程を歩いたという経験を持ってお父様の路程を考えるならばより願わしいでありましょう。


この分野で仕事をしながらこれよりもなにがより難しいですか?私たちがするこの仕事は世の中の人たちができるとしたとしてもこのようにはしません。だれが死のうとこの様にしますか。 だれがこのような奴隷のような生活をしようと思いますか。 才能があり賢い人たちはこのようにしなくてもこの世の中で楽に生きることができるのですが、 なぜこのようにつらくいきますか。このことが私たちにとって特別なことです。 難しくても終わらせなければいけません。 ストレスがたまり解くことができなくてもまた仕事をしなければいけません。体を主管することができなければすぐに目につきます。 無理なスケジュールであるために目立ちます。できるところまですべて成して自分自身を認め自分自身を放棄せず最後までよくしてみようと人のために生きようとすることが尊いことです。


そのような心が尊いことです。 そこから始まるのであります。 審判は死んでから受けるのであります。 人を審判する時間があれば自分自身を審判することが最も賢明なことです。 どのようなことでもひとつずつ1つずつ成していくことが必要なことです。 お父様の御言葉を絶対視しようと考える人たちも多いですがそうできない人たちもいます。 十分に知ることもできず、できないながらできのいいように振る舞う人たちもいます。十分に知っているとするためには最低十分知っている人たちを見る目を持っていなければいけません。そのようにするためには世の中である程度の経験がなければいけません。


お父様が語られたにみ言葉の中で私たちの最後の宿題はハリウッドを中心とした芸術世界とマフィヤを中心とした犯罪世界を主管することです。そういうその人たちは倣慢であり自分勝手に生きながらこの世のだれも信じれず疑いの中で生きているのですが、彼らを主管することができなければいけません。 そのような考えをもって生きるならば寝るときもエビのようにうずくまって寝るしかありません。


ところでできがいいと満足しながら自分自身の利益のため手段と方法を問わず仕事をし生活する者たちを見れば理解することが難しいことがあります。