2000年5月6日のメッセージ

2000年5月6日


PILATINオープニングセレモニーはベルベディアスタジオで私が最初2世たちと音楽を始めましたが、今は沢山帰りました。その時はそのスタジオの中に音楽を完成させるための総てが揃っていました。


今私たちの焦点は音楽を創ることであります。 その理由は多くのお金や設備が無くても、ここで私たちが必要とする仕事を終わらせることができるためであります。 音楽を創るのに必要な設備がすべてあるので、音楽を創るのに必要な経費が十分無くても総て終わらせることができます。


私たちは音楽を作曲するだけで良いのです。作曲さえすればできます。 ビデオやアニメーション、 映画を創ろうとすれば何十人、 何百人を必要としますが私たち5人だけでも音楽を創ることができます。


私たちが願うプロジェクトを終わらせるためにどんなことでもすることができます。 インターネットが急速度に成長したためにインターネットを通して放送することができます。 インターネット放送を通して音楽を送信すれば音質はCDに比べ少し落ちますが大きな差はありません。


インターネットを通して私たちの音楽を人々が直接利用することができるようになります。音質が少し悪くなるかもしれませんがインターネットを通して私たちの新しい音楽を24時間放送しようとするのです。


食物が人間の体に必要なごとく、お金は会社が成長するために必要な燃料と同じことです。今このベルベディアスタジオで仕事をする人たちは自らの分野では個性完成のためのある段階に上がってきました。その段階を超越したためにこれから大きな目標の完成の為に努力しなければいけません。私たちが次の段階の為の基準までは終わらせた状態です。 そのことの為により大きく高いところに上がることさえすれば良いです。


1人ではできないために世界に挑戦することのできるより良いチームを作らなければいけません。 よりいいチームが必要であるために今私達はこのことをしているのであります。そのために私達は全てを犠牲にしています。


自分のための個性完成は私たちには関係ありません。チームに対する私たちの目的が明確です。 その目的の為に私達はその目的の為に死ぬでしょう。より良い実体を作ることが私たちの目指していることであります。


曲をウェブサイトに置けば人はインターネットを通してダウンロードして歌を聴くことができます。曲目をおいてそれを聞いて気に入ったらお金を払ってダウンロードすることができます。 たとえば人が何万曲を聞くために1万ドルを使うと思えば良いです。 10万人全てが聞くとしたならば10万ドルになります。100万人が聞けば100万ドル、 1000万人が聞けば1000万ドル、 10,000万人の人が10,000万曲ダウンロードするならば10,000万ドルになりますが、1ドルの変わりに99セントだとしても9900万ドルになります。 1万人の人が1万曲聞けばそれで十分であります。ゆえに私達はこのことを期待しています。


私たちの仕事は外にいる人たちが認め尊敬もしています。 それとは関係なしに私たちに仕事はどんどんよくなっています。 この仕事をする世の中の人の中には私たちよりも良くできると知り私たちと仕事を共にしたい人もいます。 これは恥らいでしかありません。


カナンに入ったとき私たちが何かを建てなければいけません。カナンの地に入って王国を建てた時にも世の中と競争しなければいけないために私たちの行く道にはまだ長い路程が残っています。


世の中で生きながら負けて生活したいという人はいないでしょう。誰もが世の中のある分野で世界のチャンピオンと呼ばれることを好みます。 その分野のチャンピオンになるためには自分自身の最全を全て尽くさなければいけません。最高を見せなければいけません。もちろん他のことも良くできたとしてもまずは自分自身が他の人たちよりも最高になすことのできる物を持ってチャンピオンになろうとしなければいけません。 最高にできることを持ってはじめても勝つ保証も無いのに一番できることを持ってはじめなければどのようにして世の中の人に勝つことができますか?


もしこの世の中に誰も居らず全て自分自身でしなければいけないとするならばそのことを成し遂げるためには際物になった路程を行かなければ行けません。 その行く路程とそこで得られる物を祭物として捧げることができなければいけません。 最高に祭物になった路程を行くためには自分自身の最高を知りその最高を自ら信じてそのことの為に最全を尽くさなければいけません。 人生は1度しか生きることができません。どのようにして生きると考えるよりも、どのように死ぬのかが大切です。 最高に祭物になった路程を行くためにこの決意が変わってはいけません。最高の祭物を捧げるまでは固執を張ってもいいです。


理想世界では権力は存在しません。 理想世界で真の権力ということは誰かの為に喜びの心でどれほど犠牲になれるのかということです。 それが力の原因です。 人が何を言っても気を使う必要がありません。自分自身が何のために死ぬのかを知って、 そのことの為に全てを与え何も持たずに行くとする姿勢だけあればいいです。


私たちには私たちの音楽が必要であり、私たちの歌が必要です。 私たちの歌を歌わなければいけません。いつまでも世の中の曲を歌うことはできません。 今私たちの子供たちは心に飢えてどんなものも食べれば1曲ダウンロードするのに1ドルであったとするならますが、1度味を覚えた次には選んで食べます。 このような道具を利用して通信を通して教育しなければいけません。今の教育方式は正しい教育方式ではありません。


子供たちにはこのような芸術を通して使われることを願っています。 芸術を通した心情的な教育を必要としています。 私たちの子供たちにこれを与えなければいけません。 彼らの願うことが正にこれであります。 これを通して習いたくなります。 それが正しいために父母たちが一般的にこのようにしろ、あのようにしろと言うことができません。これが私たちの目標であって他のことはありません。ゆえに私達は自然現象の道具を利用して教育をしなければいけません。私たちの子供はそのような方式で教育を受けたがります。 そこには間違いもありません。本当に自然の現象であり理想的な考えであります。 それを間違っていると断定することができません。


この世の中では黒と白だけあるのではありません。他の多くの色もあります。 周波数も高周波と低周波だけ存在するのではありません。 その間には音楽を創るのに必要な様々な周波数が全てあります。 ゆえに皮膚の色が違ってもお互いに対話をなして調和していかなければいけないのです。 お父様のような方やヒットラー、金イルソンのような人たちだけが生きているのではありません。 この世の中ではこの中間にいる60億を超える人が生きています。 この中間を変えることが1番難しいです。 なぜならば中間が1番多いからであります。


電気を例に挙げると中性子は大きいですが電子と量子はとても小さいです。 電子と量子は陽と陰の充電があるかもしれませんが1番大きい者は中性子です。中性子は充電が無く流れ歩くために中間です。中間にいる人たちはここに行ったりあっちに行ったりしながら揺れ動く要素が多いです。しかし完全なものを造るためには全てが必要です。 量子と電子が物質の元素になるためには中性子が必要であることと同じことです。


私たちが世の中に勝つためには焦点を合わすことがもっとも大切なことです。 そうでなければ世の中に勝つことができず、 私たちがある基盤を作ったとしても他の人たちのその基盤を奪われてしまいます。 これからは時が来たために家庭が大切であるということを認め家庭の価値が何よりも大切であることを受け入れています。ゆえに御父母様が世の中の上に上がっていかれれば人々から尊敬を受けられるのです。そこに満足していてはいけません。 このような信仰の基台を飛び越えて彼らを実質的に導くことのできる実体基台を立てなければ全て奪われてしまうこともあります。


今から10年間くらいが大切です。 この期間内に私たちが何か意味のあることをしなければいけません。しっかりとした基盤を創らなければいけません。そうでなければ全ての基盤を失ってしまうかもしれません。 私たちの基盤である原理を真の家庭に置かれたので、人がこれから何十年の間はお父様が主唱されたことを理解でき認めるようになるでしょよう。この期間の中にお父様が積んでこられた基盤の上に実質的な私たちの基盤を見せることができなければそれを全て失うこともあります。ただ言葉だけで何か語るのではなく、実質的に何かを作って私達は犠牲になり死ななければいけません。


本当に死ぬために仕事をしなければいけません。


これも始まりにしかなりません。最後の時が始まりました。


しかしこのことは正しい始まりであります。 過ぎた過去は悲惨な戦争でしか過ぎません。これからは戦争の時代を過ぎて競争の時代が到来しました。これからは戦争ではなく競争です。ついに競走を始める地点まできました。 これから私たちのみ旨が何であるかはっきりと見せてあげ私たちの偉大性が何であるかをはっきりと見せてあげなければいけません。過去は戦争の時代であったために多くの人が価値も無くただ死んでいきました。


多くの人が死に、 また死に、 また死んでいきました。しかし今の死は昔の死よりも意味があり価値があります。 私がより犠牲になれば勝つことのできる時代に来ました。 まだ子供であったとしても仕事ができるならばするだけのことをしなければいけません。


今世の中は私たちの価値が大切であるということを知っています。 私たちがもっているものの偉大性も知っています。 より完壁になるために私たち個人の決意と、世の中に勝つために私の全ての決意が今までのどのような時よりも必要な時であります。 自分が一生の間行くと決意をし、この仕事を通して自分自身の最高の祭物を捧げるにとができると結論を下したならば、自分を最高に投入して最全を尽くさなければ世の中に出て勝つことはできません。 最全を尽くすということは本当に尊いことであります。


しかし最全を全て尽くしたことが簡単ではありません。なぜなら最全を尽くすということは死を意味するためであります。


最高の際物を捧げるためには死より尊いことが無いということを悟らなければいけません。 現実がどうであってもその立場に立つときに神様の中の可能性を発見できます。 私たちがしている全ての仕事は量、質、速度と対しなければいけません。量、 質、 速度はお互い連結されています。


新しい大きな目標を定めておいて人間の体がそこに適応するのに時間がかかります。人間が今までその仕事をすることが無かったがゆえにそうです。 目標が大きくなればそれはとても難しいです。しかしすることはできます。人はすることができないといいますが。できると考えて1度してみるのです。 そしてその結果を見せてあげれば良いのです。


音楽は12の音程を持って様々な変化を創って結合するのであります。 最新の科学技術を利用して音楽を創ることは過去と大きく違います。 classicやclassic guitarを弾くことも同じ音を奏でるのであります。しかし科学技術を利用して雷のような音も出すことができます。 classicはとてもかわいいです。 classic guitarは1つの音しか出すことができません。


CLASSIC GUITARでは稲妻のような音を出すことはできません。最新の機械を利用すればバイオリンの音もまねることができるし、ゆがんだ音も強い稲妻のような音や他の動物の声も真似ることができます。


ギターで音を出すことには限界があります。同じ音をギターで弾くことはできますが、ある音は出すことができません。炎のような音や他の音を機械を利用して音を加工して大きな工場の機械の音や爆弾の音や雷のような音を出すことができます。しかし演奏は人がしなければいけません。ゆえにジャンルにしたがって単純なクラッシクの音を出したり機械を利用して多様な音を使ったりします。 今は思いですが、かわいい歌を演奏すればきれいで美しい演奏をしなければいけません。複雑で多様な音を作ろうと思えばそこにあるこのような器械が必要であります。


ここで創られた音楽や歌は全て分け与えるでしょう。 昔創った歌も分けてあげ、売ることはしませんでした。ここで創られた全ての物は御父母様に捧げ2世たちに分け与えました。 私達全てに所有があるためです。 1度与えればそれは自分の物ではなく奪ってくることもできません。


人は自分のことを自分が1番良く知っています。ある時は自分が誰なのか分からないときもあります。 ある仕事を始めるとき始める前に、できるのか、できないのか良く分かりません。 自分が良くできると良く考えますが、まだしていないために確信を持つことができないのです。私自身が私を分からないのに自ら何をできるのかどのようにして分かりますか。


1度して間違ったことがあればその次に直せば良いです。その間違いを直すために指導法を探すこと自体が自分に対する挑戦になります。 全ての問題に対する答えを持っていないために探さなければいけないし、探すことを努力しなければいけません。人はある問題の答えを探したいのであって、全て答えを持っているわけではありません。 その問題に対する答えを探したければ、 まず自分自身で探さなければいけません。その答えを探した次にはその答えを私の中に持っているということができます。 答えを私は持っているということは答えを探した後に言うことです。ゆえに自分自身の真実を探したければ、自ら出て行って答えを探してこなければいけないのです。


自ら探そうとしなければいけません。そうすればもしかしたらその答えを得ることができるかもしれません。 その次はその答えが合うような行動が起こり、行動と答えが一致することを発見できます。正にこの答えが私の中にあるということを発見することができるでしょう。 しかしこのことを証明するためには自分自身で探さなければいけないし、行動として見せてあげなければいけません。その答えを自分がもっているのに何もしなければその答えは私の者であるということができません。


自分の中で知る事と行動が一致しなければ、戦いがあればそこにはある原因があると悟らなければいけません。その答えの中でいい答えを発見することもあるし、悪い答えもあります。 天から与えられた満足できる答えが得られることもあるし、明確に自分が満足できる答えもあります。 真の答えを探そうとすれば必ず行動しなければいけません。


すなわち出て行って生活の中で探さなければいけません。愛の道に従っていくことなのか、いつも点検しなければいけません。 自分がそのような道を行き始めた時だけ分かります。


行動しなければ自分が答えを持っているということはできません。 私が多くのことに対して考えるならば自分に対して証明してみろと言うことができなければいけません。 それが自分に対する挑戦になります。私が考えを沢山すれば次に出て行ってそれを成し遂げるために行動しなければいけないのです。


環境に関係なくそれが真実であるとすればそれが私の目的地になるのであります。 その明らかな目的地に私が到達した後に他の人たちが従っていくことができるのです。 もし私ができなければ他の人ができると考えてはいけません。誰かがまずその目的地に行かなければ行けません。私たちがどこに行きたいのかその方向は基本的に知っています。しかしその道は遠く険しいです。 狩は誰も通らなかった森の中を歩いていけばその痕跡はすぐになくなります。道に迷った人が森の中をさまよえばその通り道は跡形も無くなくなるのであります。 私たちは目的地を発見するまで続けていかなければいけません。そして1度帰って来て他の人を導いていかなければいけません。 その数が10名や100名であったとしても共に行かなければいけません。森がその道を覆ってしまったとしても誰かがまず行きながらきれいに整理をしなければいけません。 そうしなければ従ってくる人たちが荷馬車に乗って通ることができません。その道はすぐに無くなり森に覆われるでしょう。


誰かが新しい道を造らなければいけません。死を覚悟しなければそれをなすことができません。誰も探すことができないでしょう。 たとえ正しい道を探したとしても、すぐになくなるでしょう。 森に覆われるでしょう。 ゆえに誰もこの道を探すことができなくなるでしょう。 この道の為に行って早く帰ってきてより多くの人を連れて行くために他のことを無視できなければいけません。私たちがしなければいけない道はその道を造ることであります。 それ以外の栄光は必要でありません。賞賛も必要ありません。 他の関心も必要ありません。他の人の関心が必要であるということは家や知人と共にいたいということであります。開拓の道を行きながらそこに関心を持つことができません。


少数の人だけであったとしても、1人であったとしても外に出て行かなければいけません。小数の人が共にこの道を行けばこの道を耐えることができるでしょう。私たちの仕事は誰も理解することができず助けることもできないために私たちは誰にも頼ってはいけません。目的地に到着するまで可能な限り、できるなら彼らよりより遠くに行くことを願わなければいけません。 彼らよりより遠くにいればいるほど良く目的地に近いことが感じられます。なぜならばその目的地には多くの人が待っていますから!


開拓に行く時荷馬車を準備し、キャンプをして休みながら私たちの仕事を全てすることはできません。最初開拓の道に行く時、 人が多く誤解が沢山生じて私たちの心情が乾くことも弱くなることもあります。 私たちの行く道に遅れることもあります。多くの全ての人が私たちを助けてくれるのではありません。彼らをむしろキャンプの後ろに残しておくほうが良いです。


人が理解できない開拓の道に行くことはよくも知らないで助けようとして仕事を台無しにするよりは何も話さず、 むしろじっとさせておくほうがいいのです。


人の中にはとても馬鹿な人がいたり理解できず、欲心が強い倣慢な人もいます。欲心の強い人の野望は善なる野望ではなく悪なる野望であって悪心です。 権力やお金は良いものではありません。 権力は戦争をするときにだけいいことであって、競争する時には必要ありません。権力の力より愛のカのほうがより強くいいのです。


マンハッタンセンターで仕事をするときはこの世の会社で仕事をするようにしてはいけません。そこで仕事をするよりより一生懸命なしより良くできなければいけません。この世においては適当にしてある基準を通過しても良いかもしれませんが私たちの会社ではそのようにしてはいけません。なぜならば私達は最高に成らなければいけないからです。 月給を得るためにするのではなく神様のためにするためであります。神様の名前を持ってするためにこの世の中で最高にならなければいけません。


より大きな完壁の為に自分を犠牲にしていかなくてはいけません。ゆえにこの世界に何かをはっきりと見せなければいけません。この世の中の人に勝つことは簡単であると思いますか?世の中の水を飲んでみても十分戦っていないではないですか。死ぬ覚悟をしなさい。勝つために死ぬのです。 その道しかありません。勝つためには死んでも良いです。それでも保障はありません。 世の中がどれほど怖いのか分かりません。 勝つためには死めぬ覚悟をしなければいけません。 全てを犠牲にしなければいけません。人がしない時に私達はしなければいけません。人が10なすときに私達は100をしなければいけないし、人が100をするときに私達は1000をするとしなければいけません。


疲れて倒れれば自分を木であるとまた起きてしなければいけません。 保障がありませんからこのようにしても成されるか成されないかです。 死のうとする心だけ持っているのではなく十分に戦わなければいけません。信仰基台と実体基台が同時になされなければいけません。 死のうとする信仰基台だけ持っていてはいけません。 実体基台を持って十分しなければいけません。 それが簡単だと思いますか。十分になし、それを見せる時、人が感嘆する何かがなければいけません。そこから始まるのです。


挑戦者になるためにはある水準に到達しなければいけません。それが現実です。 チャンピオンになるために挑戦者は順位を上げるため、ある水準がなければいけません。 ゲームは1対1ではないですか。専門分野の人に対戦しようと思えば最低ある段階を超えていかなければいけません。そうすれば自由にそれにたいして関与できます。


どんなに自己中心の人でもそのように基準のある人をむやみに対したりしません。そのような人はその基準に到達している人を必要としているからです。 人は誰もさびしく生きるのが嫌いではないですか。 好きな人と共に生きたいではないですか。良くできる人が多ければ多いほど良いです。量、質、 速度が必要であり他のことは必要ありません。 それができる人だけ軍隊にいれば終わってしまいます。十分打つすべを知り、速く打つすべを知るものさえいれば戦争には勝つのです。 爆弾は銃弾という概念が何倍も加わることであって原子爆弾は銃弾と同じ概念がより多く加わるのです。


人間は個性完成しなければいけないので多くの人が必要です。ゆえに量が多くなければいけません。 そうすれば評価を出すことができます。 そのような段階を1次元超越して数十万名生じればすぐに世の中を変えることができます。 誰よりも早く誰よりも質が良く誰よりも量が多いですから限りなく爆弾を投下できるのです。続けて造れば終わりですから。 ゆえにアメリカがドイツに勝利したのです。 ドイツの武器の水準は良いのですがアメリカの大量生産、 数によって勝ったのです。 MI タンクがドイツのタイガー、 スーパータイガーに比べると技術の水準が落ちますがドイツで2万機を造る間にアメリカは4万機造ってしまうのでドイツが競争で受けるしかありませんでした。


ところで同じ水準で大量生産したと考えてみてください。そうすれば1瞬に踏みつけてしまうでしょう。 最初にする人が勝つのであります。 より多くする人が勝つのであります。分かりましたか?


これからは戦争ではなく、 善の競争です。 より多くし、より発展し、より早くすればその競争で勝つのであります。そうすれば何も言うことができず、近くに行くこともできず、創造もすることができないのです。 そのようにすれば私たちのような小さな群れが世界を占領できるのです。 アメリカや中国のような天使長の国がどうすることもできなくすることができます。韓国は条件的に全て勝ちました。理想を描くためには仕方がなく童心に還らなくてはいけません。 誰もが美しさを創造しなければいけません。


統一教会とキリスト教、 キリスト教と他の宗教、 宗教と世の中との勝負は理想の絵を持って芸術によって決まるのです。 私がする芸術はスポーツ用の戦争です。 私は世の中の芸術家のようにするのではなく芸術を戦争のようにしています。 このように芸術をしてみれば本当に辛いです。 肉心がどれほど痛み引きずり死にたくなるのか分かるでしょう。 峠を越えるたびにもう1つ峠を越えよう、 峠を越えれば鹿がいるだろう少しだけ行こうもう1度してみよう、誰が勝つかみよう、 誰がより我慢するかみよう、誰が生き残るかみよう、誰がよりするのか、誰がより死のうとするのか見よう、 このような心で見るのです。 人生は自分自身を否定する自分自身との戦いであるということができます。


私がする仕事は自分を脱ぐためであって、自身の倣慢性を殺すためにするのであります。 倣慢と欲望には差があります。 欲望は神様のためにすることであり、散慢は自分自身のためにであります。私ゆえに倣慢があるのであって神様ゆえに欲望になるのです。より良い私を探すために焦点を合わせて欲心を張れば欲望になるのであります。 私欲ではありません。ゆえにその結果を持って還ることはできません。完成のためには絶対に持って行ってはいけません。


私達は何よりも完成を願い生きなければいけません。完成を願うことを最後まで願わなければいけません。専門家であると噂になっていいことは1つもありません。 それを聴くことは良いことではありません。専門家であればいつも1人で戦って勝たなければいけません。 これが専門家であります。大便の箱に入れたとしても勝って帰って来なければいけません。 これが特攻隊です。専門家です。 軍服だけ着るのが専門家ではありません。猛虎部隊や清流部隊ではなく特攻部隊でなければいけません。特攻隊は常に危機に処した状況でそれも最高の危機の状況で勝って還ってこなければいけません。 幾たびごとに勝ってこなければいけません。適当に勝ってはいけません。


これは失敗です。 きれいに勝たなければいけません。60、70%勝って成されるのではなく、90%以上勝たなければいけないのです。 これが特攻隊です。このような特攻隊になりチャンピオンになるためには死んでも自分のためにしてはいけません。死ぬことがいいです。 全て段階的に考えてください。 過程期に戦争をしていると考えてください。 自分を大きく考えず、十分にできるところまでしてください。 それだけ考えて生きてください。


自分に絶対高値を付けないでください。 自分に冷たくなければいけません。良くできることだけ考えてください。 それも今すぐにできることだけ考えてください。 すぐにできることを成して、これぐらい発展するにとができると言う次元で未来に対する夢を与えることができなくても余裕を与えてはいけません。それが実用主義者です。私は全て無条件では受けません。 1つずつ1つずつ選びます。ゆえに芸術が好きです。 芸術には主体性を発揮することができます。しかし他の職業は主体性を発揮できません。まねをすればいいです、 主体性が必要ありませんから。


主体性を持つことは創造性を持ってはじめて成されるのです。 それ以外のことは1度だけ見ればいいです。 1、2度だけ従えばいいです。 それは存在する道に従うことであって無い道に行くことではないので簡単です。