2000年6月6日のメッセージ

2000年6月6日火曜日

人種間の城壁を見るときに1番才質のある人たちが黄色人種であります。 頭と肉心は利得を考え行動し、最後には持久力がなくなり限界を感じるようになります。 限界を感じるということはすなわち自我に帰ることを意味します。 人間がどんなに善を追求したとしてもある限界に到達すればすべて自我に帰るようになっています。それでも人種間の城壁を見てみるときに黄色人種はより持ちこたえることができます。人種的城壁を霊、血、肉と見るとき黄色人種は霊的な部分を代表するために持久力があるのであります。


しかしアメリカに来てアメリカ人に対するときはアメリカ式に対することができなければいけません。 韓国人がアメリカに来て韓国式だけ考えてはいけません。韓国式に考へ韓国式に他の人種を理解し行動しようとしてはいけません。 アメリカで戦争するときは十分しなければいけません。戦争するときは戦争する地形によって作戦が変わらなければいけないのと同じことであります。 小規模な戦闘も大切ではありますがいつも戦争に勝つための戦略を考えなければいけません。戦争で勝つためには一歩を引くことも必要です。日常生活においても仕事が十分なされないときには作戦を変え、 不平があるとき不平を表現するよりも不平の心を眠らせることがより賢明で賢いことであります。 自らの仕事において、固執を張ることも大切ではありますが、しかしそれもうまくできず懸命にできなければ必要がありません。私たちは人間よりも神様からかわいく見えなければいけません。 人間の顔色をうかがうよりも神さまの顔色を見なければいけません。人間の感情持ってためにしてあげることはそれがどんなに真実であったとしても神様の立場で見るときにそうでない時もあります。 人生は最後まで終わりではありません。 最後まで操り人形のように僕のようにために生きなければいけないのが人生であります。 愛は犠牲であります。 愛のためにはすべてを捨てることができなければいけません。 自らの民族だけではなく他の民族、他の人種ためにすべてを捨てる術がなければいけません。彼らに教訓を与えることができれば自分自身の利益を放棄し感慨になる道を喜びの心をもって行くことができなければいけません。


人間は自らの感情を恐れなければいけません。 不必要な自己陶酔にはまってはいきません。 仕事を持ちよりたくさんこなすことが必要であります。 他のことは神経を使う必要もありません。できないことをするようにすればより犠牲にならなければいけません。自分自身をだましながら十分に生きることができる人は誰もいません。 自分の持っているものすべて与えるために投入しながら1日生きることも簡単ではありません。それが私たちの現実であります。 しかし死ぬまでそのように生きようと努力しなければいけません。最後までしなければいけないのであります。 手をつけて放棄をすれば損害を受けるのであります。 放棄するよりもして死ぬことがより重要であります。人を自らの基準でむやみに評価したり審判してはいけません。審判は神様だけがされるのであります。 アメリカ人のことわざに恩讐をより近くにおけという言葉があります。仕事をするとき近くなるほど心が気早くなり、そのような時程人格と人間性が出るのであります。最後に近くくなれば近くなるほど我慢して堪えなければいけません。 お父様語られた恩師を愛しなさいという宿題をどのようにして終わらせることができるのかということをいつも考えなければいけません。


人生が1日で完成すると考えてはいけません。 人生が1日で完成するならば明日死ななければいけないのであります。完成した次に死ななければいけないのであってより生きる必要はないではないですか。


人生において勝つためには急がない心を急ぐように殺さなければいけません。 そうでなければ負けてるようになっています。 お父様が私たちにくださった教訓もために無条件に死になさい私は万民の僕であるということではないですか。