2000年7月23日 芸術

2000年7月23日日曜日


今私達が社会の中で交流することは衣食住を除いては文化、 芸術生活、 旅行であるといえます。レジャー生活もすべて衣食住に関係されていることでしょう。 科学と医学の発達で人の生活が便利になり寿命が長くなることによって肉身の主管が可能になるにしたがってその次に追求することはまた他の喜びを探すことであります。 ゆえに月旅行や宇宙旅行を追求するのであります。 十分に考えられる理想世界になれば人間の心霊がお互いが嘘をつきながら生活できなくなるでしょう。 映画監督が1篇の映画を造る事が1つの芸術作品を作ることであるとするならば牧会者が民衆の前で説教をすることも1つの芸術作品をつくることでしょう。 ゆえに映画監督の中には自分を映画の中に入れる人もいます。


業界や芸術分野で成功した人たちは生きている間に死を経験した人たちが沢山いることを知っています。 その死の経験を通じて極を広め極を主管する方法を学んだためにそうだと見ることが出来ます。 芸術家たちが十二分に活動するためには極を主管出来なければいけません。芸術では永遠に完壁を探そうとしなければいけないのですが、 自分自身の1つの命を捨てることが出来なくては完壁を探すことは出来ません。


人が休んでいるときに共に休んで食べながら芸術的な完壁を探すことが出来ません。そのようにしては完壁に出来ることもありませんが、完壁の近くにも行くことが出来ません。 完壁を探すことを願えば基本的に残すことの出来る何かをさがして沢山創らなければいけません。倣慢な人たちはする仕事も無く忙しく生きたがります。 自分の実力が不備である心情的な苦痛がくるときそのような心を自ら克服できなければいけません。それを克服するためにはよりー生懸命努力しなければいけないのであります。 一生懸命するということは自らかって仕事をつくり苦労するということを意味します。 意味がなくする苦労ではありません。意味が無くかって苦労する人は馬鹿です。必要であるため必要な分野で買って苦労しなけれ

ばいけません。勉強を良くしようとすれば本を買って勉強しなければいけないように必要なことを知るために、必要な要素を発展させるために買って苦労しなければいけないのであります。どのようにしてでも本を買って学び、 訓練し、練磨、 経験をつんで到達しなければいけないのではありませんか。


勉強は死ぬまでするのであります。 人は誰もが死ぬまで学ばなければいけません。すべてを自分にとって大切であると執着してみれば学ぶことには限りがないと知るようになります。修練場が教育を通じて人を変えるところであるならばここスタジオも新しい時代の修練場と同じであります。 政治家達がテレビに出て短い

時間に伝達やインタビューを通じて大衆を説得しようとすることのように芸術世界では1番短い時間で人生を変えることが出来ます。 特に音楽世界では3, 4分程度の短い時間で若者達の人生を変えることが出来ます。その短い時間内で大衆を善に変えることも出来るし、悪にすることも出来ます。


自らが為に死ぬことの出来る仕事を持っている人たちは誰がなんと言っても関係がありません。 人に対するとき公式的なことだけ対してはいけません、 芸術的に対することが出来なければいけません。芸術はある公式や理論にだけ対することではありません。人間がする芸術を公式的にだけしてみれば動物が創るものよりも劣ります。人間には芸術性があるので誇張性を人間達が主管することが出来ないがゆえに倣慢に成るのであります。ギターを弾くときもある枠を持って公式的に弾くのであります。 しかしそれもいつも変わらなければいけないのであります。 曲が違うように状況が違うためにいつも一般的にすることが出来ず、一定にだけ弾くことが出来ません。 公式の上に芸術があるために文字を書くときも芸術的に書かなければいけません。


芸術家達は戦うときは同じ方法で正しく勝とうとはしません。そのようにたやすく勝てば自分に恥ずかしさを感じるためであります。 人間は生きている間限りなく強く創らなければいけません。より独立的に創って独立するように努力しなければいけません。特に主体的立場にいる責任者達は部分的なことは分からなくても全体的なことを人に頼ろうとしてはいけません。 全体的なことを頼ろうとすれば主

体の位置が変わるようになります。 責任者はどんなに疲れて難しくても一人で考えていかなくてはいけません。全体のために責任を持ち全体のために死のうとしなければいけません。 そうではなく周辺の人たちに尋ねてみるようになれば弱くなります。