2000年7月8日 目的観と方向性

2000年7月8日土曜日


転換時代になり時代が変われば人の意識も変わらなければいけません。新しい時代に適応するために血と涙が出るほど勉強しなければいけないのであります。 民主世界と共産世界が世界的理念を持って思想戦をしているときには対敵している相手がはっきりしているためそこに衝天を合わせ緊張している状態でありました。その時代が過ぎて世の中が多様になりそのような多様な変化の中で世の中は実力を優先する競争時代に変わっています。 このような社会的転換時代で昔の旧態な思考方式を捨てることが出来ず自分の実力を育てるために限りなく努力しなければどんなに仕事をしたい意欲があったとしても全体の発展の為に方向転換のための決断をしなければいけません。どんなに時代状況が変わったとしても代わってはいけないことは目的観と方向性であります。 全般的に教会の歴史を見ると最初は誰もが

信仰を中心として始めましたが宗教の中に実用主義的な考えなどが入って思想戦に代わり始めそのような人が主導権を握る時代がありました。そして教会があるときは商業的に流れましたがそのときは商売人が教会を握るようになっていました。教会内で商売人や政治家たちは信仰とは関係ありません。 お父様が願う理想的な国家を探すためには信仰を中心とした政治風土を成し遂げなければいけません。


戦争は力と権力が大切でありますが信仰的な政治はお金と権力があったとしても関係がありません。根本的な人間像が信仰的な政治風土の主題になるためであります。そのような理想を持っていますがそうでない教会の風土が見えるということは時には疲れ言葉がほろ苦くそれ自体が仕事であります。 拷問であります。死亡であります。 死のように感じます。


指導者は倣慢になってはいけません。指導者の位置にあればあるほど自らの限界を克服しようと努力し倣慢を殺し謙遜を1番強要しようとしなければいけません。 どんなに自分がしたとしても忘れようとしながら生きようとしなければいけません。 そうすれば人はその指導者を忘れることが出来ません。 いつも本当にそのようにして生きようと最善をすべて尽くして努力しなければいけません。指導者はいつも新しいことを学ぼうとし間違いは自ら受け入れ認め修正しようと努力しいつも多くの人に機会を与えようと努力し私の祝福を与えようとしなければいけません。その道がすべての指導者が行かなければいけない道であります。このようなことが世の中では溺愛になるかもしれませんが、天ではそれが出来が良いのではなく当然なことであります。 人には経験が必要です。その経験は誰も奪っていくことが出来ません。経験を多く持つ人は他の人を超えていきません。代わりに心が広くなります。


ところで理想的な完成には終わりがありません。 限りない理想を願わなければいけません。 それを感じて願うものは続けて前進するのであります。 じぶんが必要であると絶対感じることは限りなく理想を描く心を持って続けてすることができます。 それに対する欲望が満足に対する欲望より、より大きいために満足することなく生きることができるようになるのです。そうすれば欲望を持ったものは満足を殺しやすいのであります。統一教会の原理の根本が真の父母の思想であり真の愛の思想であります。 ゆえに教会はいい人たちをたくさん作って父母様の思想が続けて連結されるようにすることがもっとも大切なことであり

ます。全体のために考えるならばそれがもっとも大切なことであります。中心存在はご父母様だけであります。父母様の周辺と教会を世の中の人が見た時にうらやましく感じることの出来る実力と能力を持った存在がたくさんいなければいけないのであります。 それを全体を持ってみれば全体のために良いことであり願わしいことであります。 中心存在の周辺にもともに生きてともに行動する人たちが寄りすばらしければよりいいことであります。 そのような人が集まることの出来る私たちの用件が成されればそこには永遠性が発生するために永遠性があります。


正直、蕩減復帰原理をみたとしてもまず私達がしなければいけないことは、世の中の人たちが肉的に私たちに従って来たがるようにしなければいけないのです。 世の中のすべての環境を私達が掴まなければいけません。肉的に対するすべてを持って私が誰よりも良くなければいけないし価値があるように見えなければいけません。肉的な次元でよりよいという価値の評価を受けなければいけません。 私たちに惚れるように作らなければいけません。 それが説得になり、それが生活の中で学ぶことの出来る環境を作り、そこで教育を始めて地を主管し始めなければいけないのです。 環境を掌握するために肉心を主管することが出来、教育を通じて知を主管できるのであります。 そのように心と体が十分に1つになれば神様が従ってくるようになるのであります。 そのようにして成されるのであります。 下から反対によじ登って行かなければ行けません。人は誰もが個性があるがゆえに相手を通して学ぶことが出来ます。 個性は天から引き継いだ祝福であります。 その祝福の価値を知るためには当然学ぶ過程が必要であります。 原理の予定論を信じるならば時に応じて違いますがすべてが偶然ではないと考えなければいけません。時を合わせることを知らなければいけません。 時に対する価値を感じれば、自ら助けを与え、自らある必要を探す事態を認めることができ、その事態に対してもう1度考えることのできるある契機になることができます。 そのような次元でみるとき私に新しい人がきたり新しい仕事が来ればこれは偶然ではないと考えなければいけません。この偶然でない中で何が私に必要なのかを自分で考えなければいけません。 対照的な立場でそれを受け止めなければいけません。 そのときは主体性を持って主観的な立場をとってはいけません。客観的に従って行こうとしなければいけません。


男性ならば男らしい気質がなければいけないように、蛇になろうとすれば昔の蛇を掴んで食べることのできるより大きな蛇にならなければいけません。蛇の中でも大蛇のような信念を持ってどこに行っても戦って勝つことのできる人がご父母様に必要な人です。地獄のようなくらい所が怖く殺伐としています。 あるときは殺したいという心が誘発されるように怒らせ、ある条件になれば、ほかの人を使って殺そうとするのが暗い世の中の現実です。 そのような現実の中でも最後まで我慢して耐えて最